ヨコトリ2017を振り返りながら③
②の続き。
けっこう間が空いてしまったので「前回ので終わりでもいいかな……」という気持ちは若干ありつつ、まだ書いていない作品の感想だけでも覚えているうちに書こうと思う。
プラバワティ・メッパイル
天井に近い位置に多数の銅線が張られた作品(タイトル失念)、
カンバスに線が描かれた作品(タイトル失念)、
そして金工細工の鋳型を壁に貼り付けた作品「yt/twenty five」。
どれも一見とてもミニマルだが、なんとも魅力があった。
最初の作品には下をくぐり抜ける体感の気持ちよさがあり、2番目の作品は線の一本一本の質感の違いが豊かさを生んでいる点に目が向いた。
シンプルだからこそ、意識が感覚やディテールに向いたのかもしれない。
アン・サマット『酋長シリーズ』
マレーシアの伝統的な織物をベースにしながらも、様々な日用品や工業製品のパッチワークで形作られている。ユニークで面白かった。
写真は4体のうちの2体。よく見ると男性と女性の身体の特徴が表されている。
近くにいたグループの中の女性が、作品の男性的な部分を触りかけてしまったらしく「つい触っちゃうんですよね……」と言ってウケを取ってた。やるなおばちゃん。
マーク・フスティニアーニ『無限への一節』
そこにあるはずがない、闇に向かって底知れず続くトンネルと穴。
一体どういう原理なのだろう(合わせ鏡的な何かだろうとは思うけど)。不思議な感覚。
(トンネルは正面からも撮ったけど、自分の顔がもろに映っていて使えなかった……)
畠山直哉『風景』
フランスの人工の山「テリル」や、震災後の陸前高田市を撮った写真。
特に陸前高田の写真は空気感や質感がすばらしかった。
その土地の風景にはときおり艶やかに光る一瞬があり、そこに住まう人々がいる。
その尊さは震災の前も後も変わらない。
小西紀之『孤独の集団』
光線を組み合わせて描かれたような人物画たち。
写真はスペースの最奥に展示されていた一枚。
入口付近の絵は「光線が人の上に重なっている(顔や体を隠している)絵」に見えたが、次々と見ていくうち、反対に「光線が描かれているからこれは人の絵だ」ということが分かるようになってきた。
そしてこの一枚に辿り着く。
父親と母親と子ども、それぞれの体つきがありありと描かれていて魅力的だった。
自分の中で起こった認識の転換が面白かった。
※写真の掲載については、館内掲示に従いCC BY-ND 2.1 JPに則ってできるだけ作家名と個展タイトルを文中に記しています。